のりたまでご飯何杯いける?

これまで経験したことを、急に書きたくなりました。

第三者のサポーター。

こんにちは。

今日はちょっと重たい内容です。

 

先日、母が脳内出血しました。先月くも膜下出血で2度入退院を繰り返していましたが、出血の原因も分からず退院、それからまだ3日目のことでした。通常脳内出血で運ばれて緊急手術になる出血量の3倍ほどの出血をしてしまい、母は今、病院のベッドの上で、全介助で過ごしています。まだしばらくは脳が腫れているので正しく評価はできませんが、母は、もう意思疎通ができない可能性がかなり高いと主治医に言われています。

こういう時、思うことは後悔ばかり。看護師としてもっと気をつけてあげれることはなかったか、今回の事態を防ぐことはできなかったのか、あの時話をちゃんと聞いてあげればよかった、あの日電話をしておけばよかった、と。

看護師なので母の病態はある程度分かる。かなり厳しい事態で今後の予測される事態も頭では分かるけど、心が追いつかない。もう母とショッピングに行って「どっちの服が似合う?」「こっちかな!」そんな会話もできない、「今日こんなことがあってさ」「え~それはイラっとくるねぇ」そんな会話もできない、ふざけたこと言ってふたりで大笑いしてお腹が痛い~って、そんなことももうできない。できないことばかりで頭がいっぱいになる。

私ひとりではない。父も兄も同じ境遇。みんなで冷静に話し合っても隠し切れない不安を共有してしまう。そんな時、母が救急で運ばれた時に緊急処置のために切られてしまった母のTシャツをみて、涙が止まらなくなった。でも看護師である私が、こんな弱音で溢れてる姿を、家族に見せてしまっては家族の不安が膨らんでしまう。そう思って10年来の看護師の親友に電話で話を聞いてもらった。彼女は一番の理解者で、客観的ながらも、自分の事のように苦しい気持ちを共感してくれた。そして気付いたら、最後は笑って、ふざけたこと言って、電話を切っていた。そしたらなんか、頭の中を支配していた悲しみが小さくなって、しばらく気持ちに余裕ができた。

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ひとって、本当に苦しい時、話を聞いてくれる家族以外の第三者の存在がとても大切なんではないかなと思う。そういう存在が、たまに話を聞いてくれるだけで、軌道修正が出来たりする。もちろん、依存してはダメだけど。
本当に、その彼女が親友で私は幸せ者です。

そして、父や兄にも、そういう存在がいてくれるといいなあと思う。

 

自分の心身の健康のために、なるべくいつも通り、ゲームをしたり、ブログを書いたりしていきたい。

ではまた!